オタクが倍速視聴を批判したくなる理由を考える

2年ぐらい前の記事で倍速視聴の話は同じような話が何度も何度も繰り返されているから、また1年後ぐらいに同じような倍速視聴の話が出ているでしょう、とか書いてましたが、
実際には1年おきどころかそれ以上の頻度で同じような倍速視聴批判を飽きもせずやっているオタクがいるので、そもそも何でそんなに倍速視聴批判をやりたがるんだろうかという過去に言及した部分も含めてまとめておきたいと思います。

 

まず大前提として、倍速視聴というものは自分の端末の中だけでやっていることです。
他人が倍速で動画を見ても、それとは関係なく自分の端末では自分が設定した速度で動画が再生されます。
つまり、他人の倍速視聴が自分の視聴を妨害することはないわけです。
別に世間で倍速視聴がどれだけ流行っていようがそれによって自分の視聴が阻害されることはなく、無関係だと言えます。

 

よくこの手の議論では、倍速視聴する人やそれを取り巻く社会に問題があるから倍速視聴する人が出るのだと主張する人が大勢いますが、本当にそうでしょうか?
他人の倍速視聴を批判しなければ気が済まない人たちこそ、真の病巣なのではないでしょうか?
自分とは無関係な他人の倍速視聴を批判しなければ気が済まないことと比べたら、
「コンテンツの消費」だとか「話題に合わせたいだけ」みたいなことってどうでもいい個人の趣味嗜好じゃないですか?

 

と、いうことをよくある倍速視聴批判派の意見を見て確認していきましょう。

 

まずは、何かバズってたネット漫画から。

倍速視聴は料理の早食いのようなもの!

いやいやいやいや、よりによって料理に例えます?
料理ってそれこそ食べる時間って人によってバラバラですよね。
それぞれの人が、自分にちょうどいい速度で食べているわけですよ。
早食いでない自分の食べる速度が最善だって、これ何を根拠に言っているわけですか?

 

何か勘違いしているのかもしれません。
倍速視聴している人は、視聴を強要されているから何とか詰め込むために倍速視聴しているわけではないですよ。自分にとってその速度がちょうどいいと思っているからその速度で見ているだけなんです。
ゆっくりご飯を食べるのと、ちょっぴり早くご飯を食べるのと、それで何か大騒ぎするような違いがありますか。
そりゃあ、科学的に最もよいと思われる食事の速度は存在するでしょうけど、別にそんなこと意識してませんよね。

 

早食いする人だって友人と話しながらのときはゆっくり食べるでしょうし、同じように倍速視聴だってケースバイケースなんですよ。
なんか話が分からんなと思ったら再生速度に関わらず戻ってもいいですし、これはすごいおっぱいだ!と思ったら等速に戻して揺れを確認していいわけです。
1.25倍速視聴だと1.25倍速乳揺れしか堪能できないかと言ったら、そんなことはないんです。

 

倍速視聴は作者の意向に反している、作品を冒涜している!

 

これ引用リツイートで飛んできたことあるんですけど、作者の意向って何なんでしょう?作者って、神様なんでしたっけ?
なぜ作者の意向に従う必要があり、従わなかったら冒涜になるのでしょうか?

 

それではまず、「作者の意向」について考えてみましょう。
普通に考えたら作者の意向ってお金が欲しいということだと思います。
倍速視聴したらその分多く作品見れますよね?ではその分金を多く払う可能性も高くなると思いません?
オタクが1話を等速視聴して5万文字の考察ブログを書き上げてる間に、次々と何話も作品見てる人から落ちる金の方が多いと思いませんか。

 

倍速視聴はただの消費だとかいう人がいますが、つまりは消費しているのだから金はちゃんと落ちるし、消費せずに考察しても作り手に金は落ちませんよね。
お金が欲しいという作り手の最大の意向に沿っているのはどちらなんでしょうか?

 

と、まあこれはさすがに揚げ足取りみたいなことを言っているだけなので
作者の意向とは「作品をこう見てほしいという意向のことだ」と言われるでしょう。
間の取り方がどうのこうのっていうやつです。

でもそれって、「作者の意向」とは違いませんか?
それは「作者の意向」ではなく「表現されているものそのまま」ですよね。
表現されているものに作者の意向が全て正しく含まれているとは限りません。
表現されているものが作者の意向そのままであると、なぜ言えるんでしょうか。
それは、「私は作品から作者の意向を正しく読み解けているのだ」という驕りにすぎないのではないですか?

『倍速視聴した場合、そこから受ける印象は「表現されているものそのまま」とは異なる場合がある』

これが正しい表現ですよね。これを作者の意向と言い換えるのは、傲慢です。


さらにここで2つの反論を想定できます。
①「表現されているものそのまま」と異なる感想を持つのであれば、間違いだ。
②作者が意向を作品に正しく反映できていないとしても作品に出ているものが作者の意向とみなすべきで、作者の意向を大事にしないのは冒涜だ。


①「表現されているものそのまま」と異なる感想を持つことは、問題なのか?

別によいのでは?

「作品を正しく解釈し、読み取り、その結果を正しく表現」しなければならない。したがって、「作品を正しく解釈し、読み取り、その結果を正しく表現」することができなくなる倍速視聴は問題である。ということですよね。
そして、「作品を正しく解釈し、読み取り、その結果を正しく表現」できる自分たちは偉いということを言いたいんですよね?

 

いや、何も偉くないから。

 

そもそも今、議論に上がっている映像作品ってただの娯楽作品なのであって、それを正しく鑑賞して正しく評価・評論しなければならないなんてことはありえません。
仮に間違っていても、別にいいのです。

 

「この作品、話はどこにでもあるような話だけどヒロインがかわいくておっぱいがでかいから最高だ!」って言っても別にいいですよね?
「取り立てて語ることのないどこにでもあるような駄作だ」と切って捨てるのが正しいと決めつけているのはなぜなんでしょう。

 

「自分たちが正しいと考えている方法で、正しい感想をアウトプットできる、これが正しいことで俺たちにはそれができる、正しく作品と向き合っていないあいつらにはそれができない!」

言っているのはこれですよね?自分が正しいと思ってるから言っている。
自分たちは正しいと言い張りたいだけ。これを選民思想だと言っています。オタク選民思想。倍速視聴で出てくる感想は悪いものであると決めつける理由、選民思想以外にないですよ。


繰り返し言っている通り、倍速視聴する人にとってはその速度が最も見やすいわけですから、比較的好意的な意見が出るはずです。
「間延びしていてつまらなかった」と出力させることが「正しい」ことになるんでしょうか。一体誰が困っているのでしょう?


②作者の意向に従わないことは、問題なのか?

なぜ作者の意向というものをそこまで神聖視しているのか。そこが問題です。

作者の意向を神聖視するのは、それが「正解」だからでしょう。
つまり、その「正解」を読み解けるから私たちは正しい。これが作者の意向を重視する明解なロジックです。さっきと同じこと、オタク選民思想なのです。

 

「正解」から外れるものは間違い、悪であるから、冒涜なんだ!と言っているわけです。
しかし、オタク選民思想の持ち主以外は、別に「正解」したくて作品を見ているわけではないのです。

作品に対する「正解」を出して、それをオタク仲間に褒めてもらうことを最上の価値とするオタクたちのような価値観を、万人が持っているわけではないという当たり前の話なのです。

 

しかもこの「作者の意向」、自分が正解にたどり着きたいときには神のごとく崇め奉るくせに、自分の都合でいくらでも好きなように無視することも平気でやっています。
なんで「作品の間」みたいな部分は作者の意向から反した感想を持ってはいけないのに、それ以外の部分では作者の意向はあくまで作者の意向にすぎないとか好き勝手なことが言えるんでしょう。
格好つけて「作者が~」と言っているけれども、ようは「自分が~」なんですよ。

 

だいたい、「等速再生」だけにそこまでこだわるのはなぜなんでしょうね?
アニメ版ニーアのアクションシーンで、2Bの一瞬のパンツ(※レオタード)を見るために0.25倍速にしたら冒涜になってしまうんでしょうか?
動体視力を極めた真のオタクしかパンチラを拝めないとか、恐ろしすぎる世界です。

 


倍速視聴するようなやつらのレベルにあわせているから質がどんどん下がるんだ

そもそも質が下がっているのかという話もありますが、もし、作り手が倍速視聴する人に向けて作品をチューニングしているとすれば、その時、「作者の意図、意向」を大事にする人がするべきことは、「そんな作品を作るな」ではなく、「作者の意図した通り、倍速視聴する」のはずですよね?
都合のいいときだけ作者に言うことを聞かせようとするのはなぜなんでしょう。

ようは最近のはつまらんって言いたいだけのように見えますよね。


映像は本と違って間が重要

本当にそうなんでしょうか?
最初の方で出た食事の話もそうですが、単に時間を強制する方法がないというだけで、食事だろうが小説だろうがベストな速度は存在するのではないでしょうか?
そして、強制されないという理由でベストな速度を守る必要はないと考えていることは冒涜には当たらないんでしょうか。
料理を作る人も小説を書く人も、だいたいこれぐらいの速度でという想定はあるはずですし、じゃあその速度を守るかどうかをどう決めてるかというと、強制されるかどうかだけですよね?
そして、倍速視聴の機能がプレイヤーに存在する以上、もはや強制はされてないわけですよ。ただそれだけの話なんです。


客ならともかく作家志望が本の速読しているようではダメだ

言ってることは分かりますけど、これを作家でもなんでもない有象無象の一般人がこぞってリツイートするのって違和感ありますよね。
結局、速読じゃダメだろと言いたいがためにリツイートしているんでしょう。
どんな売れっ子作家だって、これは別にどうでもいいと思ったら斜め読みしてその辺に放っておくぐらいのことあると思いますけどね。


さて、ここまでを踏まえた結論を述べましょう。

 

我々素晴らしいオタクが好む素晴らしい作品たち、これを解釈する正しい方法は、
我々が決めた方法に決まっているのであり、そうでないことをするのは冒涜に決まっているのである。
それ以外の方法で正しい解釈はできないに決まっているのである。

 

これが倍速否定民が言いたいことの全てです。
と、言いたいところですが、ここまで思ってるのはネット論者的なごく一部の極まったオタクぐらいのもので、ほとんどの人はそんなに深くまで考えてないと思います。

 

倍速視聴って言われると、何か軽く見られてる気がしてイラっとする

 

そんだけの話でしょう?
いや、マジでこれだけのような気がしてきました。なんか本当にしょうもないですね。
俺が大事に思ってるものを軽く見るなよ!と言いたいがために、理屈を後付けしていっているわけです。後付けで嘘の理屈だから、あちこちに無理がある。

 

気持ちは分かりますけど、そんなに重く受け止めるようなことじゃないんですよ。
もう1回言いますが、「その速度がその人にとってちょうどいいからその速度で見ているだけ。」
そこに軽く見ているも冒涜もなにもないです。
その速度がちょうどいいという人が、倍速再生機能がない時代には目に見えなかっただけだと思いますよ。
裾野の広がりに貢献している、ぐらいに考えたらいいと思うんですけどね。
オタクなめんな。と言って鴨川叩いたところで、何も得るものはなかったでしょう?

 

 

まあ、金儲けのためだけに無駄に引き延ばした動画を倍速再生するときは、軽くどころか思いっきり見下してますけどね?
ケースバイケース、何倍再生だろうがゴミ動画はゴミ動画なのであって、それを再生速度でジャッジしているわけではないのです。

 

 

 

 

 

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以下、余談

一応言っておくけど、私の(あのゴミみたいな)ツイッター(フォロー非推奨)見たら分かる通り、リアタイ実況してるので等速で見てますからね、私は。
しかもリアタイだからCMまで堪能しての1話30分ですよ。(配信なら等速でも24分ぐらいですよね)
でもCMも見どころの一つ(ブルーレイを知らないキャラが宣伝するブルーレイのCMは最高)ですし、楽しいからそうしているだけで、正しく読み解くためじゃあありません。

 

だいたい、ツイッターしながら見てる時点で注意力散漫に決まっているので。
「ながら見」は良くて「ちょっと速度が速いだけ見」はダメってのはさすがに筋が通らないってもんです。
ツイッターのタイムラインに目を落とすのって、「間」のときじゃないのかなあ?

 

あとそういえば、ニコニコPC版の再生速度変更のUI、なかなかいいんですよ。
ニコニコはyoutubeと違って再生中にコメントを打つサイトなので、動画再生画面が全画面である必要がなく、シークバーやコメント入力欄は常に出ている方が便利なんです。
で、その常に出ている部分に再生速度が常時表示されている。
等倍以外は色がついてて分かるようになっているし、速度変更もそこからすぐできる。ゲーム実況動画とかは速度上げた方がいいと思ってるのでこれがなかなか便利で好んで使っています。