よいオタクであることを誇らずにいられないことこそ重度の病だ

前回の倍速視聴の記事で、同じようなことを毎回毎回言ってるから同じような論争はまた起こるでしょうといいましたが、
まさか同じライターが記事がバズったのに味を占めて同じネタを延々とこすり続けるとは思いませんでした

 

ヤバいですね?リテラシーの低いリアクション)

 

gendai.ismedia.jp

 

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ちなみに記事は絶対に広告ブロックを入れてから読みましょうね。
アドブロックとかのメジャーで簡単なヤツだと警告文が出ると思いますが、絶対にアドブロックは解除しないで読みましょう。
(おすすめはより高度な広告ブロックを導入することです)

 

この記事の中で触れられている関係者の証言は参考になるものもありますが、ここでは別に重要ではないので触れません。
要するにこれらの記事、最近の若者は理論でしかないんですよ。しょうもない。

 

最初の記事で顕著ですが、
とにかく「頭が悪い」「幼稚」「バカ」「リテラシーが低い」といった言葉を多用していますね。
時代の問題で善悪ではないと建前を置きつつ、実際には挑発的で悪意のある言葉を連発してるわけです。

 

著者は意図的にそうやっているのだろうと思いますが、
それによって倍速視聴けしからん派(長いので略して以下、オタクと呼びます)にとっては、まさに溜飲を下げまくりまくれる(リテラシーの低い表現)内容になっているんですよね。
実際ツイッターで検索してみれば、リテラシーの高いオタクたちがそうだそうだと乗せられているのを観測できます

 

で、その挑発記事の後に出てきたのが前回も失笑モノだった「オタクになりたい若者たち」ですよ。
これも「最近の若者はこれだから」としか書いてない。


今の時代はああなんだこうなんだと、実際に若者ではないため検証不可能なオタクに都合のいい解釈を次々提供している。
個性が欲しくてやっている、作品を道具としてコミュニケーションしたいからやっている、あまりに都合がいい。自分が10代だったら馬鹿にするなよと言いたくなりますよ。

 

「昔のオタクは自分の満足のために倍速視聴したが、今の若者はコミュニティで生き残るために倍速視聴している」

 

オイオイオイだよ。リテラシーの低いツッコミ)

 

コミュニケーションのために視聴するのが「今の若者」だけとは思わないし、
「今の若者」が自分の満足のために見てるわけではないとも思わない。いろんな世代で両方の要素があるでしょう。
あまりに結論ありきの部分が多すぎる。

 

例えば視聴スタイルの1つとして「実況」というのがあり、
これは作品を見ながらリアルタイムに投稿を行ってリアルタイムに感想を共有していくスタイルなわけですが、元を辿ればいくつかの匿名掲示板の実況スレとかに行きつくわけです。
20年近く前からあるこの視聴スタイルが今の若者のものとは思わないし、コミュニケーションを目的としていない視聴とも思いません。

 

友人が0人、LINEはインストール自体していない、誰かと作品について語り合うこともない、オタクでもブロガーでもライターでもないから高める名声もなく、特にSNSで評価されることもないから地位もない、
まさに「ないないの中年ちょっとまえ男性」(道交法違反はあるので注意(ブルー免許))である自分ですら、コミュニケーション目的の視聴がゼロだとは思えないですから。

いやまあ私のことはどうでもいいですね。


とにかく徹頭徹尾、
映像作品にしっかり向き合って作者の意図を読み取ることに尽力する作品に対して真摯な我々オタクと、
不純な動機で作品をいい加減な気持ちで見るオタクもどきたち、という

ま~~~~なんとも不愉快で都合のいい対立構造になっているんですね。

 

「うっせえわ」をニコニコのMADとお笑い芸人の替え歌でしか聴いたことがない自分でも「うっせえわ」と言いたくなりますよ。

www.nicovideo.jp

魔族のうっせえわの替え歌もめっちゃ面白かったです。

 


早送りする原因はああいうことだ、こういうことだと言っておきながら、
じゃあなぜ早送りしない人間はそうしないのかは考えない。疑う余地なく正しいと思っているからですね。

なんでそんなに「我々は奴らと違って映像作品に対して真摯に向き合っているオタクだ」って言いたがるんでしょうね?
それも結局、ネット上のコミュニティで「あいつは違うぞ」と一目置かれたいからじゃないんですか?

 

ガルパンはいいぞ」(最近であれば「人類は愚か」)を叩いておけば、
自分でものを考えられる上級なオタクである、みたいなお手軽なくだらなさがあるのが倍速視聴論争ですよ。
「素晴らしいオタク」の側に立ってると思ってる人間はそうでない側を得意顔で叩きますが、その素晴らしさに興味がない側から見たら何も変わらない。やってること同じですよ。

 

ガルパンはいいぞと呟くのがくだらなくて、ブログに数万文字の考察ブログを書くことが素晴らしい?全くそうは思いませんね。
暇人が好き好きにやってるだけのことでしょう。

 

もちろん、この「我々こそ優性オタクだ」という無意味な争い、無限に繰り返されているものではあります。
こちらも最新のネタ。

anond.hatelabo.jp

ゼロ年代のオタクが硬派扱いされる時代、令和。


映像作品の視聴に限らず、
「これが通の楽しみ方」「本当に愛があるなら」「真のファン」みたいな言い分、全部無視していいと思うんですよね。
こういった制限が果たして人を幸せにしてるんでしょうか?してないと思います。

 

自分が好きであるものに対し、「あるべき好きの度合い」を勝手に決めてしまう行為、
間違いなく苦しみしか生まない病であり、呪いであると言えます。無用な呪いを掛け合うのはやめよう。

 

倍速視聴がどうのこうのという一連の流れも、ただ呪いをかけているだけにすぎないですよ。
まだあの記事のシリーズ続くようなのでそうじゃない話もあるかもしれませんけどね。

 

とはいえ実際のところ
「あいつは違うぞ」と一目置かれたくてあんな記事を書いたり、反論のブログ書いたりしてるオタクの言動なんか関係なく、
早送りしたり、ながら見したり、ある時は繰り返し視聴してみたり、好き好きに見るだけだと思いますけどね、これからも変わりなく。
(しかしそこに余計な呪いはないほうが良い。)