周囲が持ち上げてる作品を批判するべきでないという良識派の大正論

ジャンプ+で公開された某漫画が大好評になっておりますね。
まあそれは別に構わないんですけども、ここまで一つの作品が絶賛されているとどうしても「なんか気持ち悪いな…」という感情を持ってしまうのも人間であります。

今回も「すごく持ち上げられているからあまり見る気がしない」みたいな感じのツイートを発見しましたし、そこから発展して「すごく持ち上げられているものがハマらなかった時」という論点も発生していますね。


もちろん冷静に考えれば持ち上げられているから見ないというのはあまり正当性がないですし、
どちらかというと損することの方が多そうに感じます。
それに、自分が作品を見るより先に絶賛されている光景を見ることになるのは自分が作品に到達するのが遅いからなのですね。
つまり自分の責任ですし、それで損しているのも自分だけ。

とはいえ、すでにそのような状態になってしまっている時点においては「見ない」という選択肢をとるのはある意味防衛策とも考えられます。
すでにバイアスがかかってしまっている状態で絶賛されている作品を見ると、やはりマイナス評価したくなってしまいますからね。
そうして「すごく持ち上げられているものがハマらなかった時」に陥ってしまうリスクがあるわけです。だから見ない…という、これも一つ合理的な判断ではあるんじゃないでしょうか?


しかし、ですよ。その合理的判断が「すごく持ち上げられているものがハマらなかった時」を避けるために生まれているのなら、
「すごく持ち上げられているものがハマらなかった時」を避けなければいけない圧力とは何なのか?ということになりますよね。
と、いうわけで表題の話をしましょう。


意見1(フォロワー1.6万氏)
周囲がすごいと言うから見たけど面白くなかった物を、本当は面白くなかったけど周囲に合わせておこうってのはしない
(イマイチならイマイチと言う)

こういう態度は割と評価されているネット論者にありがちだと思いますね。
そのようなネット論者はすでに本人がコンテンツみたいなものなので、
その本人から出てくる否定の言葉は支持者には「独自性」として評価されるものです。
評価されるんだから、言うよね、そりゃあ。これを一般ユーザーに適用するのは適切ではないと考えられます。


意見2
周囲が持ち上げているがハマらなかった作品について、
その作品を好きなフォロワーの気分を害してまで貶す価値がないので見なかったことにする。

これは、割と理解できる気がしますね。
わざわざフォロワーを不愉快にする必要はない、確かにその通りでしょう。
でもちょっと待ってよ。
それって、「周囲が持ち上げているがハマらなかった作品」に限って適用されるものでしょうか?
フォロワーもイマイチな反応をしていたら、貶しに行くってことですか?

何かがひっかかる…


意見3(1000リツイート以上、同人作家氏)
あれ良かったよねと皆が話してるところで否定の言葉をわざわざ表明するのは人間性に問題がある。

確かに、面と向かって会話しているときにわざわざ言うのはコミュニケーションとしてどうなんだというのは理解できます。
ファンサイトに突撃してアンチ行為をするようなのもおかしいというのも理解できます。

しかし…ですよ。

「皆が話してるところ」とはどこのことなのか?
今、「あれ良かったよねと皆が話してるところ」というのはツイッターじゃないでしょうか?
そして、否定の言葉を表明してもいいかという議論になっているのもツイッターにほかなりません。
このタイミングで面と向かって会話している場面を想定しているものであるとは考えられない、
つまり「皆が話してるところ」とはツイッターのことと考えるのが自然でしょう。

さっきの「2」と根本的には同じ内容ですね。
人の気分を害するな、ということのようです。

やはりひっかかる…



どうしてひっかかっているんでしょうか。

「私が好きなアニメのこと、平気で叩く人ばっかりなんですけど?」

これですね。だから違和感があるのです。
この感情を、もう少し分解してみると、こうです。

「批判は気分が悪いからするな」なのか「多数派の空気を乱すな」なのか
はっきりしない、というかはっきりさせていないのがひっかかる。

この2つは共存できるときもありますが、共存できないときもあります。
批判する側が多数派の場合です。

せっかくなので意見2と意見3がどちらの見解であるのか、考えてみましょう。
本当はツイート主に聞くのが良いのですが、そんなことをしたらもれなくクソリプと言われるのがツイッターです。
なので勝手に決めつけることにしますね。

意見2は、どちらかというと「貶すな」寄りに見えますね。「貶す価値」みたいなところを考えてもそう感じられます。貶して面白かったら嬉々として貶しますと表明していることからも「批判は気分が悪いからするな」であると読めます。
意見3は、「空気を読め」に見えますね。最終的に人格攻撃をしたがっている様子からもそのように感じられます。自分や周囲が批判一色でそれが正しいと信じてる時に、擁護する人が現れたら思考停止の信者だと言いそうな力強さを思わせます。

まあこの分析には特に意味はなかった余談なんですが、
なぜこの意見を扱ったかというと、
「批判は気分が悪いからするな」「多数派の空気を乱すな」これこそが
「すごく持ち上げられているものがハマらなかった時」を避けなければいけない圧力だからですね。

こうやって正論ぶった良識ぶった物言いこそが圧力そのものなのです。
圧力というのは「俺の好きなものの悪口言うな!」とキレてる人がかけているのではないのですよ。
「みんなが好きなものの悪口を言うのはよくないよね」と言いなだめている人がかけているのです。
その圧力に果たして自覚があるんでしょうか?ここが最もひっかかるところですね。


「みんなが褒めているときはなんか圧力を感じてものを言いにくいよね」という話をしているときに、圧力そのものの発言をしているから違和感があるんです。分かってもらえますかね?